大人の姿が子どもの見本になるのはいつの時代も同じ、かもしれません。
自ら考える姿勢とそれを実現するための行動は、大人にこそ求められています。
日経新聞より。
(会員限定記事となっております。ご了承ください)
外国にルーツがある生徒を対象にした全国初の公立中高一貫校が2025年にも愛知県豊田市に誕生する。特徴は日本語と母語を併用して生徒の力を引き出すカリキュラム。外国人との共生社会で求められる学校を先取りしたパイロット校となる。
いよいよそういう時代になった、ということを感じるこの記事。
国内の人口減を、外国ルーツの方々が補うという構造は、
すでに現実となっていますので、そう考えれば、
この記事にあるような事象は自然な流れとも言えるように思います。
日本で生まれ育ち、日本語を話す――。学校が前提としてきた子ども像はもう古い。全国に日本語指導が必要な外国籍の児童生徒は21年度で約4万8千人と、12年度から7割強増えた。
教育内容は普遍的なものが多くても、
それを「誰に」「どのように」提供するか、
というのは、時代や環境に応じて変化する、変化させることが必須です。
ところが、学校は変わりにくい、と誰しもが口をそろえます。
日本が1872年の学制発布で教育の近代化に踏み出して150年余り。社会は激変したのに教育界は平等や先例を重んじ、抜本改革を避けてきた。優等生は育ってもとがった才能を輩出できないなど〝ツケ〟はいま、重くのしかかる。
変化を嫌う体質を打破しない限り、未来を拓(ひら)く人材は育たない。まず動くべきは学校であり、それを支える私たちだ。
今回ご紹介している記事には、公立校が変化している事例が
いくつか掲載されています。
例えば、日本語指導が必要な高校の事例では、
校長が大学と共同での指導法開発や教員研修に奔走していらっしゃいます。
別の例では、地域の少子化を見据え、学習内容の柱を
主権者教育とSDGs(持続可能な開発目標)に変えた高校も登場します。
複雑化する家庭の状況に対応するため、
教育委員会に設け、登校しない子らの支援を強化した自治体もあります。
国の「指示待ち」になりがちな学校で、社会の変化を先取りする動きが出始めた。欧米を追うキャッチアップ型社会なら指示待ちで何とかなったが、人口減少や地球環境の悪化といった未踏の領域に入った社会では通用しないからだ。
さて貴校園では、組織自体が指示待ちになってはいないでしょうか。
指示待ちが絶対に悪い、というわけではありませんが、
先例のない時代を生きていくためには、
新たな環境に合わせた活動態様を模索するのは必須、だと感じます。
その旗手となるのが学校でありたい、いや、学校であるべき、
と考えるのもまた、自然なことのようにも思います。
元・麹町中学校長で、現在は横浜創英中学・高校長の工藤勇一氏は、
「かつての学校は時代の最先端にあり、
教員は人材育成の最も優れた専門家だった」
とおっしゃっています。
人を育てることこそ、学校にとっての本懐であるはず。
その願いを叶えるために、まずはしっかり「考える」ことが必要です。
どんな教育を、どんな生徒に対して、どんな方法で提供するのか。
社会構造が変わっていく中で、
さて貴校園の答えはいかなるものになりますでしょうか。
(文責:吉田)