教育において、忘れてはならないことかもしれませんね。
日経新聞の投稿欄より。
(会員限定記事となっております。ご了承ください)
学校でも、会社でも、家庭でも、誰もが「なぜそれをするのか」と説明責任を求められる。この問いに対しては筋道の通った理由を示すことが当然のように期待され、「楽しいから」と答えることは、どこか稚拙で、無責任でさえあるかのように扱われてしまう。
こうして「正しい」と「楽しい」の綱引きは、いつも前者の勝利で終わる。正しさの裏づけを探すうちに、楽しいは片隅へと追いやられていく。説明責任と正しさは相性がいい。「なぜ?」と問われると、自然と「正しさ」を根拠に据えざるを得ない。
大人になると特に、こういう機会が増えるようにも思います。
仕事の場ではなおのこと、なぜそんなことをしたのか?と問われ、
楽しいと思ったから、ではまったく理由にならない、
とされることもきっと多いことでしょう。
(楽しい、では説明にならないことも実際に多いとは思いますが)
ただ、人生におけるいろいろな選択において、
楽しいという要素はそれなりに大きいものだとも感じます。
私自身、学校選択や職業選択において、
楽しいという要素を抜きに考えたことはないように記憶しています。
日常の活動においてもそれは同じです。
楽しい、ということだけで選んでいることはそれほどないかもしれませんが、
楽しさがあるからこそそれを選んだ、ということは数多くあります。
この投稿の筆者は、他者への説明、というところに
重きを置いておられるようで、楽しさは正しさにいつも負けてしまう、
と書いておられますが、そこから少し離れて、
楽しさが自分の背中を押してくれるという観点から考えれば、
教育という活動において楽しさという要素を忘れないように、
との示唆は教育に携わる人たちにとって
非常に重要だと思うのですがいかがでしょうか。
私自身は与えられたものを前にしたとき、興味を持とうとし、手を動かし、懸命に取り組み、そのなかで楽しさを見いだしていく。その連続で、やっているだけである。そんななかで発見したことがある。与えられたものであっても、楽しく遊ぶことはできる。子どものころ、身の回りのものすべてが遊び道具になったように、大人になってもその感覚は失われていないはずだ。
貴校園での活動は、子どもたちに「楽しさ」を感じてもらえているでしょうか。
楽しいからこそ興味を持ち、楽しいからこそ続けられる。
勉強は辛く厳しいもの、ということの手前に、
いろんな楽しさが感じられる学びであればと願います。
学びの楽しさを感じてもらえる学校でありますように。
(文責:吉田)






