工学博士である先生からのご指摘であるところが興味深い記事です。
日経新聞より。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
この記事で語って下さっているのは、東大名誉教授の西垣通氏。
記事のプロフィールによりますと、東大工学部計数工学科卒の工学博士で、
日立製作所などでコンピューターソフト開発に携わった後、
東大教授などを歴任、となっています。
先日のブログでもご紹介したとおり、
本年度から情報科が高校の必修科目になり、
2025年からは大学入学共通テストで「情報」が必須科目となります。
そのような中で、西垣氏はこのような指摘をされています。
「教育の拡充はたいへん望ましいことです。しかしながら、必要な文理融合ができていない。内容がプログラミングなどの理系(工学系)のデータ処理に偏りすぎているのです。職業としてのプログラミングには向き不向きがあります。その能力を国民全員に求めるのは無理です。文系学習として、出会い系にアクセスしないといった情報モラルを教えるようですが、あまりに表面的すぎます」
「もっと根本的なことを教えてほしい。情報社会でいかに生きていくか。そのための基礎的な教養が教えられていない。いまインターネットの世界では、サイバー犯罪が横行していますが、対策を個人だけに求めるのは限界がある。どうすれば中傷や詐欺などを防ぐ公共ルールをつくれるか。安全安心なネット活用ができるシステムにするか。みんなで考えるための基礎を学ぶことが大切です」
情報の取扱いや加工はあくまでも手段であり、
情報の本質、基礎を学んだうえでないと、
情報に支配されてしまいかねない、との指摘です。
では情報の本質とは何か。西垣氏はこうおっしゃいます。
「情報は生命活動から生まれるのです。動物は、敵が来たとか食べ物があるとか、身体と結びついた生命的な情報を交換しながら生きています。動物的本能をもつ赤ちゃんが、話し始める。そうして生まれる社会的な情報を、効率的に伝えるために、機械的なデジタル情報があるのです」
「もともと生き物である人間は、生命的情報を大事にすることで生きてきた。そこから、機械的な情報が出現する。いまは順番が逆で、機械的なデジタルデータの処理だけを重視する傾向が強すぎる。しかし、根本を忘れてしまうと、いったい自分が何のために生きているのか、見失うことにもなりかねません」
さらに西垣氏は、情報学に必要なのはむしろ文系の学問であり、
心や社会とどう向き合うかを扱う心理学や社会学、法学などと
連携して初めて、人間にとって情報が持つ意味が見えてくる、
と指摘しています。
確かに、情報は私たちがよりよく生きるためにこそ
活用されるものであると言えますよね。
そうなると、ICTとは一見縁遠い方々にこそ出番が回ってくることになります。
「確かに、文系の情報学とコンピューター工学とはちょっと距離がある。高校では公民や国語の先生たちに期待したいが、必ずしも、IT(情報技術)に興味がなかったりする。新たな道は、情報教育に対する考え方の根本的見直しから始まるのではないでしょうか」
高校で学ぶ情報科に、このような観点は含まれているでしょうか。
今一度、貴校園のカリキュラムをご確認いただき、
情報の本質を知る人材育成を進めていただければと思います。
(文責:吉田)