学級会、という言葉を聞く機会が少なくなったようにも感じる昨今ですが、
クラスで話し合うということ自体は貴重な学びのチャンス。
そこでの気付きをご紹介しましょう。
日経新聞より。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
今回の記事では、昭和の時代の学級会の議題として
「学校にシャープペンシルを持ってきてよいか」
という問いが採り上げられています。
そうだったかもなあ、と思う気持ちと、そうだったっけ?と思う気持ちの
両方が去来しますが、どんな議題であれ、議論の先にあった
「ある景色」は鮮明に焼き付いています。
最後は定番の「多数決」となる。この安易な多数決が、数が多い方が正しいという錯覚をもたせてしまったのかもしれない。当時の子どもはすぐに「多数決」という言葉を口にした。こんな学級会を経験した人たちが政治家になっているとしたら、明らかに学校教育のミステークだ。
そんなミステークを、私はまさに体験し、それが染み付いた世代のような。
何かあれば多数決。多数なのだからそれを選択することが正しい、
と無意識に刷り込まれてここまで生きてきてしまっている気がします。
学級会は学習指導要領では特別活動の「学級活動」に位置づけられている。そのねらいは、学級や学校での生活をよりよくするための課題を見いだし、解決するために話し合い、合意形成を図り、実践することだ。
高学年の配慮事項にはこんな文言がある。「相手の思いを受け止めて聞いたり、相手の立場や考え方を理解したりして、多様な意見のよさを積極的に生かして合意形成を図り、実践すること」
今の学級会では安易な多数決はしない。とにかく友達の話を聞き、聞きながら、自分の考えが変わっていくことへの気づきを大切にしている。
記事にもある通り、数が多いことと正しいことは異なります。
そして、積極的に意思表示している人が正しいわけでもありません。
「正しい」がひとつではないことを、私たち大人がまず知らねばなりませんね。
その意味で、国会中継は子どもたちには見せられない。逆に、子どもが真剣に話し合い、合意形成を図る学級会を国会議員の皆さんに見てもらいたいものである。
(文責:吉田)