学習環境は大きく変化しています。
その中で、大切にせねばならないことは何なのでしょうか。
日経新聞より。
(会員限定記事となっております。ご了承ください)
今回ご紹介するのは、教育YouTuberの葉一(はいち)氏による寄稿です。
葉一さんは小学校と中高数学の教員免許を取得しておられて、
卒業後は営業職、塾講師を経て独立されました。
現在、YouTubeで教育コンテンツを制作し配信されていますが、
そのきっかけは塾講師時代に、経済的な理由で塾などに通えない家庭が
想像以上に多いという実態を知ったことが大きい、とおっしゃいます。
これまでに投稿した授業動画はなんと2000本以上。
難易度としては、教科書レベルの基礎的な内容が主になっています。
そして、それらの動画がどのように子どもたちに視聴されているのかが
次のように書かれています。
授業動画はたいていが1本当たり10〜15分。初めから終わりまで視聴するのではなく、効率的な使い方をしている子が目立つ。
私の動画は問題が書かれた映像から始まる。子どもはここで一時停止をする。問題を解くと、一気に動画の最後に移動する。解説が終わった段階の画面になるので、それを見て答え合わせをして、間違っていれば問題の解説に戻る……。そんな使い方をしている。
現代の子どもはデジタルネーティブだ。私が想像していた何倍もデジタルコンテンツの使い方がうまい。SNSの発達でほかの人の使い方を参照できるようになった影響もあろう。
最近は「タイパ」という言葉も多く使われるようになり、
学びにも効率を重視する子どもたちが増えてきているようです。
知識レベルのことは動画の早回し視聴で習得する、
という習慣がすでに備わっている子どもたちには、
ひょっとすると工夫の乏しい学校の授業は緩慢、
あるいは退屈に映ってしまうのかもしれません。
そしてこの記事にはもうひとつ、重要な課題が示されています。
11年間子どもたちを見ていて、年々強く感じるようになったことがある。それは「信頼できる人を求めている」ということだ。
SNS上では容易に人とつながれる。そのほとんどは簡単に切れる糸のようなつながりだ。それをあまた抱え、時に悩む。そんな日々を送っている子どもたちだからこそ、信頼できる、簡単に切れない綱のようなつながりを求めている。
実際「葉一さんだから(動画を見ている)」という声は多く届くし、同様の活動をしているほかの方を見ても、その傾向はある。授業も学習への助言も同じ言葉であっても誰に言われるかで印象は変わる。その「誰」の部分が、より重要になるのではないだろうか。
「コロナ禍を経て、学校のあり方、存在意義を改めて問い直す必要がある」
ということは、このブログにも何度か書かせていただきました。
先ほどの授業のこと、そしてこの信頼できる人のこと、
いずれも学校の存在意義につながる重要な要素ではないでしょうか。
母校はいつでも帰れる場所であるべき、と私(弊社)は考えています。
そこには信頼できる学びがあり、信頼できる人=教職員がいる、
というのが学校のあるべき姿、私学のあるべき姿のはずです。
刹那的な楽しさや厳しさを与えるだけの場ではなく、
育ちを見据えた最善の学びが提供できる場として、
貴校園の活動は子どもたちにさらなる寄与ができる、
と信じています。
SNSでお手軽に知識習得ができる環境下であるからこそ、
学校の役割はより際立つはずです。
その強みを活かせる貴校園であっていただければと願っております。
(文責:吉田)