なんと、中学3年生の寄稿文です。
先日ご紹介した大学生の投稿もそうですが、
若い感性が育つことの喜びを感じます。
日経新聞より。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
ドイツのインターナショナルスクールに通う筆者は最近、
男女平等について学んでいるそうです。
ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが育ったパキスタンは、
世界経済フォーラムが2019年に発表した「ジェンダーギャップ指数」で
153カ国中151位。
では日本はどうかと言えば、同じ調査で121位。
そこには「性別によって押し付けられた固定概念」があるのではないか、
と筆者は考えたそうです。
そしてここからが本題。
以前は確かにそのような価値観があったとしても、
そのような価値観がいまだに残る理由は何なのか、
と疑問を抱きます。
なぜ新しい考えを持つ若い世代がいるのに状況が大きく改善されないのか疑問に思った。そこで友達に「日本で男女平等について学ぶ機会はあった?」と聞いてみた。するとみんな首を横に振る。ところが外国人の友達は、以前からよく「平等や差別」について考える機会があったという。
私学の中には探究的学習が進んでいる学校もあり、私自身、
男女平等について議論を深める授業を参観させていただいたこともあります。
ですが、このような取組が広くなされているわけではない、とも思います。
筆者の投稿のまとめに強く共感しました。
日本の学校でも、もっと男女平等について議論すべきだと思う。平等であるべきだと言うが体力などの違いはあり、それぞれの性に合わせた方がよいことはあるだろう。体育の長距離走は男子が1500メートル、女子は1000メートルだ。どこまで平等にすべきか恐らく正解はないから議論して深めるしかない。今はしっかり考える時間もなく成人し社会に出る仕組みのように思う。結果として問題が先送りされてしまう。学校で真剣に考える機会があれば、将来はもっと平等な社会になるのではないか。
平等は単に同じであればいいわけではないですよね。
指摘されている通り、議論して深めていくしかないテーマだと思います。
さて貴校園では男女平等について考える機会があるでしょうか。
そして、今回の筆者のように疑問を抱く力、
さらにはそれを言葉にする力を養えているでしょうか。
(文責:吉田)