タイトルを読むと、当然のことに思えますが、
果たして実践はどうなのか。
関係各位がふりかえる機会になればと願いつつお届けします。
日経新聞より。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
この記事は乳幼児保育・教育を手掛ける会社の社長による寄稿です。
まず最初に、保育をめぐる現状の政策的支援の根底にある考え方に
疑義を呈していらっしゃいます。
少子化対策について様々な議論や提言がある。昨年、保育所での痛ましい事故が発生し、保育士による児童虐待の問題も明らかになった。保育所を運営する立場から、議論は歓迎するが、保育現場において幼児教育を実践するよりも、対人数(保育士1人当たりの児童数)の改善や処遇が論点の中心であることに違和感を抱く。
「保育現場における幼児教育の実践」
とさらりと書いておられますが、このことを常に意識しながら
日常の活動に当たっている幼稚園や保育園はどのくらいあるでしょうか。
安全への配慮要請や教職員配置の厳しさ、保護者等からの過度なクレーム等で、
現場が疲弊し、教育の実践、理念の実践どころではない、
という園も少なくないと実感しています。
しかしながら、理念の実践は園の存立基盤です。
特に幼稚園は、幼児教育が主たる活動であるべきですから、
子どもを預かること以上に、幼児期にこそなすべき教育を提供する、
といった意識が強く求められることは言を俟たないでしょう。
そして、教育活動において子どもが主体であるとの感覚を持つことで、
日頃の行動が変わってくることも当然あるのです。
保育の質とは何か。当社でも保育理念(自分らしく生きていくことのできる子ども)の実践という視点から議論をしている。一例をあげる。昨年春、ある事業所内保育所の運営を引き継いだ。当初、子どもたちがどうやって遊べばよいのか分からない姿や、保育所へ行きたがらない話に疑問を感じた。1カ月ほどして分かったのは「何々したらダメ」「何々しなさい」という、保育士主体の押しつけのような保育がなされていたことだった。子どもの主体性が涵養(かんよう)されていないのだ。
そこで「何がしたいの」と、子どもへの声掛けを徹底した。例えば従来は服が汚れて保育士の手間が増える理由で、雨の園庭で遊ぶことを禁止していた。これを子どもの主体的な行動に任せて、雨水の池の中で自由に遊ぶことを受容するなど保育内容を変えた。
この記事によりますと、上記のように声掛けを徹底し、
保育内容を変えたことによって、
子どもは自分で考えた遊びを楽しみ、体を動かすようになったそうです。
保護者が迎えに来た際にも今日の出来事を嬉しそうに報告し、
家庭での寝起きのリズムも整った、と書かれています。
乳児であっても保育の現場で主体的な判断を導けば、子どもは変わる。子どもを思い通りに動かしたい保育士が、ルールを作り、大声や厳しい言葉で教え導く場面を目にすることがある。「子どもは何もできない」。だから「教え導かなければならない」。こうした思考は皮肉にも保育者自身をルールに縛りつけ、疲弊させていく。
ひょっとすると、あれこれ手を出しすぎるがゆえに、
園の側の手が足りなくなっている…ということもあるかもしれません。
この機会に、自園の教育、保育のあり方と日々の実践について、
ふりかえってみてはいかがでしょうか。
(文責:吉田)