部活は今後どうなっていくのか。特に運動系の部活について、
スポーツのエキスパートによる提言がありました。
日経新聞より。
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この記事は元ラグビー日本代表で、現在はスポーツ教育学者である
平尾剛氏へのインタビューです。
すでにご承知の通り、文部科学省は、公立中学校の運動部の運営主体を
地域のスポーツクラブなどに移す方針を掲げていますが、
さて学校は部活動とどう向き合っていくべきなのでしょうか。
まずは体罰等の行き過ぎた指導について。
平尾氏はこうおっしゃっています。
「全国大会を頂点としたトーナメント方式でタイトな日程が問題だ。試合に合わせてパフォーマンスを上げるため『頑張れ』『逃げるな』と心身を追い込む日本的な指導が加速してしまう。暴力暴言で追い込むと、短期的に成果が出るから厄介だ」
「意識の面では、生徒や顧問だけでなく保護者も『勝ち進めばスポーツ推薦をもらえるかも』と前のめりになりがちだ。成長するために勝利を目標に据えるはずが、勝つために全てを犠牲にする結果至上主義に陥っている」
確かにご指摘の点は現実を的確に捉えていらっしゃると感じます。
適切な指導を行える指導者の存在がやはり重要だということかもしれません。
一方で、現状は学校教員は忙しすぎて、部活指導の方法を吟味したり、
他校とよい取り組みを共有したりするための働き方の余裕がないことも
指摘されています。
そこで、部活の運営を地域に移すとの方向性が示されていますが、
このことについて平尾氏はこうおっしゃいます。
「未経験の教員ではなく経験者が専門的スキルを教えれば子どもにとってプラスだ。地域で活動することで生涯スポーツにつながる可能性も高まる。いま現場で指導する教員の意向をくんでうまく移行できれば、デメリットは放課後の移動時間のロスくらいだ」
「費用負担のために家庭の経済状況が参加機会を左右する懸念はある。運動部も文化部も学校で文化資本を身につける貴重な機会だった。経済格差による不平等が起こらないか心配だ」
確かにそうですね。では学校はどうすればいいのか。
平尾氏の真骨頂はここからのコメントだと私は感じました。
「日本のスポーツは明治時代に外国人教師が放課後に教え始め、学校を拠点として発展した歴史があるが、海外ではそのほとんどがクラブチーム主体だ。学校主体にゆがみが出たら見直すのは自然だ。学校で教えるべきことは体育の授業で実践すべきだ」
「学習指導要領が求める水準が高すぎるのが問題。小中学校の球技では『ボールを持っていないときの動き』に取り組むが、ラグビー選手だった私でも何年もかけて身につけた難しい要素だ。本人がコツをつかめるメニューや声かけは非常に難しい。運動指導が容易でないことを自覚して到達レベルを下げるべきだ」
「日常を健やかに生きるための運動習慣や体の仕組みを学び、運動嫌いにならない工夫が必要だ。授業でスポーツのエッセンスを楽しみ、競技に打ち込みたいと思えば部活動に入る。学校体育と部活動の連続性を踏まえた一体の改革が求められる」
学校には正課として体育の授業がある、ということを忘れてはなりませんね。
さて私学の皆様はその取組をどのように進めていかれるのでしょうか。
地域との連携という、今後の私学経営にとって重要性の高いテーマと絡めつつ、
あるべき姿を模索いただくことを願っております。
(文責:吉田)