家庭学習と授業の役割を交代させる、という昨日のブログに掲載したニュースを採り上げてみて、少し前に気を留めた別の記事が気になりました。というわけで、本日はその記事を採り上げます。
(有料会員限定記事となっています。ご容赦下さい)
この記事の発端はどうやら厚生労働省が開いた有識者会議のようで、
「医薬品をネットでは売るのは危険」
という意見を疑問視するコメントから始まっています。
続いて医療(診察)の話に。
限界集落をはじめとして、山村などの集落では医師不足と高齢化により簡単に医療が受けられない現実がある一方で、遠くの医師と住民をネットでつなぐ遠隔医療に活路を求めようとしても
「医療行為は対面でないと危ない」
という医師や厚労省の姿勢がそれを阻んでいる、と。
そしてこの記事の結びには教育の話が出てきます。
採り上げられているのは長崎県・対馬列島にある県立上対馬高校。
この高校の生徒たちは、プロジェクターに映る東京在住の教師とネットを介し、週2回の論理的コミュニケーションの授業を受けているそうです。
が、「遠隔授業」は大学では認められるものの、高校では原則禁止となっています。
その中で、上対馬高校は遠隔授業で単位が取れる異例の存在とのことで、記事には規制をクリアした方法として
『答えは教室の一角に。授業を黙って見守る先生の姿。わざわざ立ち会うことで「対面授業」という「体面」を保っているのだ』
と書かれています。立ち会う先生が何者なのか、という説明はありませんが、それはおそらく上対馬高校に勤務する教員、ということなのでしょう。
記事の言うように、対面信仰というものは一定程度存在するのでしょう。
が、対面の良さ、必要性というのも理解できるような気がします。
私自身は、対面の良し悪しということよりも、柔軟性をいかに担保するか、といった意味でこの記事が示唆する点は重要だと感じています。
どのような形式での授業が適切なのか、という方法論は学校それぞれが置かれた状況によって異なっていて、同じ学校においても時期によって変化するものではないか、と思います。
ついては、いろいろな方法を研究し、それを実践で活かしていくことが、あるべき学校の姿ではないでしょうか。
特に私学は教育技術を追求できる、あるいは追求すべき第一の存在。
遠隔ということに限らず、よりよい教授法についてぜひ探究していただきたいと願っています。
(文責:吉田)