現在、朝日新聞では「教育2014 大学を経営せよ!」という特集での連載が続いています。
そして先日、その連載の中で、個人的に非常に興味深い記事が掲載されました。
それがこちらです。
(全文読むには会員登録が必要です。ご容赦ください)
この記事のタイトルを見ると、「授業」のアウトソーシングが話題になっているように見えますが、もちろんその内容もありつつ、全体としては「学校経営全体に対する外部専門家の関わり方」について問題提起がなされているように感じました。
記事で扱われている事例を大別すれば
1.「社会人スキル」を教える『授業』を外部委託している事例(1件)
2.「経営改善」のための『経営コンサルティング』を委託している事例(2件)
の2種類。
そして私が注目したのは当然後者。
弊社が実践している、あるいは実践しようとしている役割と密接に関連しているからです。
経営改善が必要な私学に対して、財務構造の変革を迫るコンサルタントの事例では、記事にこのようなことが書かれています。
「企業的な経営モデルが求められている」。教育市場担当の〇〇シニア・マネジャーは言い切る。ITシステムや庶務などは外部委託し、配置転換できない余剰人員は●●(コンサルティング会社)が雇い入れる。削減で浮いた分を収益分野に投資する。これまでに立て直した大学は数十校にのぼる。複数年契約を結び報酬を得るが、目標の削減額を達成できなければ差額は●●(コンサルティング会社)が負担している。
(固有名詞は伏せました)
弊社自身も「コンサルティング」という言葉を社名に配し、また私自身も「コンサルタント」として自己紹介をするケースも少なくありません。
Consultという単語は「解決する」という意味を持つ言葉ですから、経営コンサルタントは経営課題を解決に導くための存在であることは間違いありません。
ただ、私にはいつも引っかかることがあります。
それは、「コンサルタントは経営者と何が違うのか」ということです。
この記事の事例では、コンサル会社は
・事務の一部をアウトソーシング
・余剰人員は転籍
・コスト削減目標額未達の際の金銭負担
といった方法を提示し、これを実現しているようです。
私が考える経営の手順は、概して
1.将来像を明確にする
2.現状を把握する
3.経営課題を抽出する
4.課題解決策を考察する
5.適切な解決策を実行する
という流れをたどります。
そして本来はこれらすべてが経営者とその組織によって決定されるべきものであると考えています。
その一方で、コンサルタントにはこれらすべてについて「主導」せよとの期待が込められることも少なくありません。
事実、今回の事例においてはまさにそのような気配が感じられます。
が、余剰人員の転籍先として自社を差し出し、またコスト削減できなかった分を金銭負担するといったところまで踏み込むのは、業務の独立性を失いかねない、あるいは報酬が必要以上に高額化しやすい、非常に危険なやり方ではないかと感じてしまうのです。
私自身が考える本来のコンサルタント像は
「選択肢」と「判断材料」を提供する
という存在です。
本来、経営の方向性のみならず、その方向性を実現するためにどのような手段を取るのかまで含め、経営のすべてについて決定し実行するのは経営者の役割です。
いくら専門性が高いからと言って、万一これが外部の第三者に任されるとすれば、それは体裁こそいいものの、経営の「乗っ取り」に近いものであるとすら私は感じています。
何が課題なのかよく分からない、経営判断が難しい、決めたことがなかなか実行されない…
経営において立ちはだかる壁は数多くありますが、それらに対して私たちがなすべきことは、
・第三者の視点で組織をしっかりと見つめ、事実を把握する
・考えられる課題を列挙し、整理する
・判断が必要な場面ではその判断に必要となる材料をあらゆる方面から提供する
・必要な施策を「計画」にする(スケジュール化し、目標化する)
・計画の実行段階においては当事者に「伴走」し側面支援を行う
といったことである、と私は考えています。
学校には建学の精神があり、またこれまでの歩み、歴史があります。
それらを十分踏まえつつ、経営改善を実現し続けるには組織内部の力が不可欠です。
そしてコンサルタントはその推進における強力な「事務局」として活動することが、その組織自身を生かし、また組織の力を高めることにもつながるのではないかと思うのです。
ただ、コンサルティングをどう捉えるか、という意味では私は少数派の考え方なのかもしれません。
そして、実際に各校と関わらせていただく中で、自分の立ち位置に迷うこともまだまだ少なくありません。
自らのありたいと思う形、そして求められる形。
その両者のギャップを少しずつでも埋めながら、日々の活動に邁進したいと思います。
(文責:吉田俊也)