記事は公立からの視点で書かれていますが、
私立からの視点でも読んでおきたいと感じました。
日経新聞より。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
この春卒塾したA子とB子が高校の定期試験を前に自習にやってきた。学力的には同程度の都立高と私立高に通う2人だが、勉強のスタイルが違っていた。
都立のA子は教科書を開いた。私立のB子はタブレットパソコンを開くと、巧みに使って学習を始めた。「私立すごい」とA子。
A子の高校ではオンライン授業用のアプリを各自のスマートフォンにインストールさせられたものの、インターネット環境が整わない家庭もあり、ほとんど活用されていないという。
新型コロナウイルスの感染拡大で、昨年の春から通学が厳しくなった学校では、
オンライン授業への切り替えが学びの継続のポイントにもなりました。
この点、それまでの取組みが功を奏する形で、
公立よりも私立が圧倒的に早くその仕組みを整えていたように感じます。
この記事の筆者はこのような状況を踏まえて、
「この1年で都立と私立の差は大きく開いたと思う」
と書いておられます。
ただ、この後には気になる指摘が続きます。
一方で私立は盤石かというと、そうでもない。C高校の学校説明会に参加した中学3年生の保護者と最近話した。校長の話はコロナ禍でのICT活用と大学進学実績のことばかりで「私立の理念を感じ取れなかった」と残念そうだった。
C高校は校長のリーダーシップで改革を進め、先進的な教育で人気校になっている。塾向けの説明会に私も出てみた。校長の話は欧米の教育を礼賛し、日本のそれを批判する内容で、響きのよい横文字の言葉が並んだが、結局のところ模倣ではないかという気がしてならなかった。入試担当者は多様な進路をサポートするとしつつ、上位大学の進学者数を増やすことを目標に頑張る、と話した。
ICTのインフラが先行したのは確かに私学です。
そしてそのおかげで、昨年1年間の学びにおいては、
公私間格差があったことを私も実感しています。
しかし、それはあくまでも手段の話であって、
公私間の手段に差がなくなってきたこの段階で、
未だにそこに着眼していてはいけないような気がします。
新たな手段を確立し、その手段で何を発信し、学びにつなげるのか。
ポイントは既に「中身」に移っているはずです。
記事は以下の文章で締められています。
皆さんはどうお感じになるでしょうか。
ICTの活用や合格実績を誇るだけでは、生徒一人ひとり(とその生徒に関わる人たち)の物語が見えない。都立も私立も、本当の違いが見えないのだ。その学校で子どもが人間的にどのように成長できるのかをイメージできるような発信をしてほしい。
(文責:吉田)