日経新聞で先日まで連載されていた「女性活躍社会に必要なこと」。
切り口は女性活躍となっていますが、それだけに限らない、
重要な示唆があると感じましたので本日ご紹介いたします。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が、「女性が多い会議は時間がかかる」という趣旨の発言で辞任しました。森氏は「私どもの組織委員会の女性はみんなわきまえておられて」とも述べ、古い世代のリーダーの意見に従うことが暗黙の了解であることを印象づけました。
時代錯誤というよりも事実誤認的な発言と言わざるを得ない、
先日の出来事を思い返します。
私の経験上、女性が多い会議は時間がかかる印象は全くなく、
むしろ時間が限られていると意識しているのは
相対的に女性の方が多いように感じます。
ただ、この記事はそこがポイントなのではありません。
森発言で気になったのは、わきまえた女性が出席している会議は短い時間で終わるという後半の発言です。そもそも、会議でわきまえるということはどういうことでしょうか。それは、上の人の発言に対して反対しないということであり、日本の男性中心社会の秩序を乱さないということを意味しているのではないでしょうか。
上記文章をさらに抽象化してしまいますが、
議題を問わず、会議に時間がかからないようにしようとすれば、
「何も発言しない」のが最も早いわけです。
しかしながら、それでは会議の意味がない、
ということはご理解いただけるでしょう。
男女を問うことなく、会議のあり方として、
「感じたことを自由に場に投げかける」
ことは、時間は延びるかもしれませんが、
意思決定の質を高めるために必須の要素と言えます。
価値観の多様性を尊重しよう。
そんな掛け声はよく聞きますが、その目の前で、先のような発言がなされる。
結局、多様性ではなく同質を尊重したいというのが本音なのではないか、
と疑ってしまいそうです。
しかし、同質から生まれるものは小さく、異質から生まれるものは大きいもの。
異なる文化的な背景を持つ人や、セクシュアリティーの異なる人、障害を持った人、さらには世代の違う人々が様々に異なる意見を交わし、従来のやり方を変えていく方法を見つけ出す時代が来ています。
学校での学びにおいて、異質を自然に受け入れ、
議論が交わせる大人が育てられることを強く願っています。
(文責:吉田)