有名校長が2名登場されているこの記事。
目新しくはありませんが、
学校の存在意義や本質について気付きがありました。
NIKKEI STYLEより。
この記事はオンラインイベントでの校長インタビューを
文字に起こしたもののようです。
登場する校長はお2人。
1人は横浜創英中学・高校長の工藤勇一氏。
もう1人は武蔵野大学中学・高校校長の日野田直彦氏。
こちらは以前、大阪府立箕面高等学校長として活躍されています。
いずれもマスメディアへの登場も多いので、
かなり知名度のあるお2人と言えそうです。
まずはITを使うメリットについて、工藤校長の発言から。
私がこの春まで校長を務めていた千代田区立麹町中学のことをお話すれば、ITは技能や知識を習得するのにはとても便利でした。教室で一斉に情報を伝達して暗記させる従来のスタイルは、ものすごく非効率なんですよ。AIを使った学習ソフトによって、数学の習得時間を大幅に短縮できましたから。このとき大切なのは、黙々とAIで勉強するのではなく、生徒同士で教え合ったり、分からなかったら先生を呼んだり、雑然とした雰囲気の中で臨機応変に学んでいくことです。ITはあくまでツールにすぎません。
これを受けて、日野田校長はこう話します。
同感です。ITは手段であって、目的ではないですよね。これを使ってどのように自主性のある個人を育成するのかに焦点を当てるべきです。普通に教室で教師1対生徒40で授業している限りは、授業中に手を挙げたりとか、わからないことをわからないですとはなかなか言いにくいです。そういうのをオンラインを通じて素直に積極的に発言できるようになることが望ましいです。教育も目的は本来こちらですよね。もちろん、その前提としてインフラ整備も重要で、全国の小1から高3までの生徒にWi―Fiとパソコンを渡して通信費は国が持つというような、大胆な政策があってもいいと思います。
ITはあくまでもツール、道具。
このことは当然のことだと誰しも分かっているとは思うのですが、
直接携わっていると目的化しやすいものだとも思います。
子どもたちの柔軟さや意欲を支援するための道具として、
ITをうまく使っていくという考え方はちゃんと意識化しておく必要がありそうです。
そして日野田校長は、学校管理職と教員それぞれの役割について、
興味深いことをおっしゃっています。
教員が変わっていく時代が来たのかなと思っています。僕はよくファシリテーターではなく「パシリテーター」と言っているのですが(笑)、「僕らは君らのパシリ。だから何でも言ってほしい。チャレンジするのは君らのほうで、我々は最後のリスクヘッジだけするから、どんどん失敗して」とよく言っています。学びの主体は生徒です。学校経営にも生徒が参加すべきです。学校は自分の目的や使命に気づくところであって、受け身でひたすら知識をインプットされるところではないはずです。
学校は教育の環境を整える場。
だからこそ、管理職もまた、教育環境整備を支援する。
これまた当たり前のことですが、日常において忘れがちかもしれません。
最後に、子どもたちが自ら考える力をつけるために、
両校長からとても大切なことが語られています。
工藤 自分が優秀になるためにはどこか優秀な塾に入って、優秀な先生に習ったら勝手に成績が上がるって勘違いしている子供たちがいっぱいいるわけです。サービスって与えられ続けると、サービスに慣れてくるのでもっといいサービスをくれとなるんです。もっといいサービスがあるに違いないと思い込むんですよね。それでサービスの質に不満を言うようになるんです。あれがいいとか悪いとか。その時点でもう当事者意識を失っているので、能動的に動かなくなるんですよね。
日野田 工藤先生とまったく同じ考えです。常に何かしてもらえると勘違いしていると、大人になってからも会社が何とかしてくれると思ってしまう。だから、ある日突然会社が傾いてしまったら、もう大変。そうではなくて、自分がどうやって学校や社会に貢献するのか。自分にしかできないことは何かというのに気づくことこそが、「当事者意識」「オーナーシップ」ですよね。自分の人生のオーナーシップを持っている人は、自分で何とかしようと動くと思うのです。
コロナ禍をきっかけに、新しい学びが各校園で生まれていることでしょう。
「元に戻る」のではなく、「先に進む」という気持ちで、
学びの促進が図られることを願っております。
(文責:吉田)