各市の新聞紙面がこの春、いろいろと変わっています。
朝日新聞は「教育2014 学歴は変わるか」というタイトルで、学歴について連日記事を掲載しています。
インターネットでも読めますのでご興味があればどうぞ。
http://www.asahi.com/edu/edu2014/
(ただし全文読むには会員登録が必要となります。ご容赦ください)
個人的には「学歴フィルター」の話が特に印象的でした。
採用の際に何に留意しますか?というアンケートでは、「学歴」という回答はかなり下のほうになるのがここのところの傾向。
ですが現実はそうではない、ということが就職活動をしている学生の声。
もしそうなら、企業側も嘘をつかずに、「学歴を参考にしていますよ」と言えばいいのに…と思うのですが。
学歴を重視することよりも、その事実に蓋をしていることのほうが大きな問題だと感じざるを得ませんでした。
さてそんな特集記事、今朝の朝刊には2ページぶち抜きの特に大きな記事が掲載されていて目を引きました。
そして、今回の特集記事の引き金になっているだろうニュースはこちら。
(いずれも全文読むには会員登録が必要となります)
日本においては、飛び入学の制度はここ15年ほどのものです。
があまり広がってはいない様子。その理由として記事には
・生徒にとって高卒の資格が得られず、大学を中退すると中卒になってしまう
・担当教員の確保の困難さ
・資質判定や選抜方法の難しさ
学力が高い子どもたちには、学年あるいは学種を進めていくのがむしろ自然なのではないか、という議論、確かにあり得ます。
その一方で、学力だけで学年や学種を決めているわけではないのだから、年齢に応じた教育を受けさせるべきだという議論も十分理由のある意見だと感じます。
今回の記事においても、前者の論調に立つものとして、
・小学校時代、授業中に時間をもて余した経験から「コツコツ努力する亀ではなく、ドンドン跳ぶウサギを伸ばす教育を」と考えたある学習塾経営者の話
・「特に優れた資質」の生徒について高2終了後の「飛び入学」を受け入れた千葉大学の事例
等が挙がっており、逆に後者の論調に立つものとして、
・飛び入学制度に対し「3年を2年にするのは教育への影響が大きい」とする高校側の根強い反対論
・同様に飛び入学については人格形成の観点から問題がある、という考え方
といったものが紹介されています。
このように、教育内容や教育課程を考えるにあたっては、両極端とも思える意見が出てくるのが教育業界の常であり、大きな特徴だと私は感じています。
それは教職員側においても同じ。
あるクラスの担任の先生と、隣のクラスの担任の先生の教育方針が異なっている、などということは日常茶飯事ですから、「学校としてどんな教育をしたいか」ではなく、「各教員がどんな教育をしたいか」によって教育内容が変わってしまいます。
そのような多様性はあってしかるべきだとも思う一方で、私学においては、ひとつの組織体としての理念や方針があるべきだとも思います。
公立校は原則として教員自らが就職する学校を選べないのに対し、私学はその教員が選んだ学校であるから、というのがそう考える理由です。
今回の記事では、「能力の高い子に対する環境整備」がその論点になっています。
そして、昔のように誰しもが同じ環境で学ぶことよりも、個に合わせた学習環境を確保することが求められる時代であるという点にも記事は言及しています。
私学はまさにマクロではなくミクロの観点で、自らの教育課程や教育内容を確立し、その場を提供する存在であるべき、と言えるのではないでしょうか。
(文責:吉田俊也)