「進学」に限られず、「進路」を考える。
高校がそんな場になれば、と願っている私にとって、
とても興味深い記事が掲載されていました。
日経新聞より。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
集団活動が自然に行え社会性に富んだ「普通の市民」を育てあげる高校教育の役割が揺らいでいる。大学進学率は60%に迫る勢いであり、人材養成は高学歴化している。他方、製造業などの高卒就職の受け皿は縮小し、非正規雇用が拡大して就職を先延ばしせざるをえない現実もある。従来は進学と人材の高度化は同義だったが、最近は進路先が決定できないが故の進学が増えた。社会に出られないための教育期間の延長、「教育モラトリアム」の出現である。
進学率の上昇は進学校に限った話ではなく、
中退者が多い、あるいは教育困難校といわれる高校でもみられる、
と筆者は指摘しています。
少子化によって、進学先にあたる大学が
推薦やアドミッションオフィス(AO)入試に比重を移し、
学力よりも生活態度を問うようになってきています。
つまり、勉学の努力よりも学級集団に適応することの方が次の進学を左右するため、
生徒は学校生活にこれまでにないリスクを感じるようになる、と。
記事中には興味深い統計についても言及がありました。
東京都内の都立高校中退者を対象に行ったアンケート調査(2013年)で最も多い退学理由は、教師の指導への反発や問題行動などではなく、「遅刻や欠席などが多く進級できそうになかった」という生活リズムの乱れだった。次が「友達とうまく関われなかった」「精神的に不安定だった」といった対人関係の歪(ひず)みだった。
生徒たちを中退に追いやるのは、学業勉学の重苦しさでも厳しい校則指導でもない。日々の集団でのルーティンな生活への不具合なのである。
相談相手がいない。
同世代の仲間も広がらない。
これがどうやら卒業後も続いてしまう傾向にあるようで、
高校時代の過ごし方がこれまで以上に重要になっているようです。
実は正規雇用の若者でも職場や地域での日常の人付き合いは思ったほどには拡大しない。ましてや無業者層では、ネット空間の他者も含めて同居家族以外に関係をもつ者は皆無だった。学校、特に10代後半の3年間を過ごす高校という場が、20代全般に及ぶ人間関係の資源(語れる仲間)を提供している。
このように見てくると、高校が提供すべき学習の場というのは、
教科教育に限られない、むしろ重要性は別のところに移っているのでは、
と思わされます。
進学のため、あるいは人的資源の制約のために、
行事や課外活動を縮小することがむしろ社会での活躍を阻害している、
とすら言えそうな気もします。
学校はいわば不特定多数の集合体であり、
そこで人間関係を構築していくことには相当の困難もあるでしょう。
しかしながら、学校が小さな社会を現出させる場であるなら、
それこそが社会生活へのつながりをよりよいものにさせるはずです。
「学校は多少の失敗ができる小さな社会である」
高校が、本当の意味の進路開拓の機会になることを願っています。
(文責:吉田)