学問は大切、勉強は大切。
誰しもが分かっていることなのに、なかなか実行できない。
特に子供の頃は…ですよね。
こんな記事が日経新聞に掲載されていましたのでご紹介します。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
日本は資源の少ない島国だが人的資源だけは豊富だ。それが明治維新以降の目覚ましい発展や、戦後の高度成長を可能にしてきた。もちろん、資源というからには、質が高くなければならない。江戸時代の寺子屋教育以降の伝統を受け継いだ歴代の政府の教育政策が、豊富な人的資源を涵養し、育んできたといえよう。
最近、それに黄色信号がともっている。高校の中間層の学力の「地盤沈下」が心配されるようになっている。早稲田大学の浜中淳子教授のグループが高校生を調査したところによれば、中堅進学校の生徒は、スマートフォンを片手に、1日30分以下の学習時間を良しとし、無理のない進学を心掛けるようになっているという。
私自身、学校に関わってからそれなりに時間が過ぎましたが、
勉強に対する姿勢が学力最上位層と中位層の間で大きくなっているような
感覚を確かに覚えています。
記事には「スマートフォンを片手に…」とありますが、
学習ツールが以前のように「手書き」「ノート」「問題集」から
デジタルに移行しつつあるのもその理由の一つだとは思いますが、
それでもやはり、いわゆる学校での勉強や、
その延長にある進学に対する考え方は変化してきているように感じます。
ケインズによれば、経済成長をもたらすのは「アニマルスピリット」だという。その基本は、若いころのしっかりとした勉強だ。福沢諭吉の「学問ノススメ」は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉で有名だが、それに続いて、それなのに世の中には人の上に人がいて人の下に人がいる、その違いは学問をするかしないかだ、だからみんな学問に励めとしていたのだ。
福沢諭吉が勧めている学問は学校の勉強だけではないとは思いますが、
それでも勉学に励むことが人生を拓くことは少なくありません。
一方で、所得層が二極化しつつある昨今、
将来に対して希望が持てない子どもたちも増えているのかもしれません。
何とかこの流れを変えないといけない、と痛感する今日この頃です。
学校の役割が拡大、もっと言えば肥大化する現代において、
本来の役割である「勉学の府」としての機能は縮小してはいないでしょうか。
貴校園における授業や課題研究、さらには進路開拓の取組は
以前と変わらず、いや以前にも増して活性化されていると言えるでしょうか。
貴校園が最も大切にすべき活動について、ごくシンプルに考え、
それを実現する方法を検討してみることが必要な気がします。
(文責:吉田)