ここ最近、日経新聞の記事を基にこのブログを書かせていただくことが多いのですが、
本日ご紹介するのも日経新聞の記事です。
ただ、掲載面がいつもとは少々違っておりますので、
記事のニュアンスは目新しいかもしれません。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
ご紹介する記事は小学校舎の建築史を研究して30年以上の
川島智生さんが書かれたものです。
調査した学校の数は全国で千校を超しておられます。
日本の小学校で最初に鉄筋コンクリート校舎が建てられたのは神戸だった。1920年(大正9年)に完成した須佐小学校(現明親(めいしん)小)が嚆矢(こうし)となった。校舎の鉄筋コンクリート化は23年の関東大震災がきっかけとされるが、その時すでに神戸では19校が完成していた。世界的にも先進地だったといえよう。
人口が急増し学校整備が急がれる中、小学校で相次いだ火災を受けて耐火性から着目されたのが鉄筋コンクリート校舎だった。山と海に挟まれた市街で、高層化して敷地を有効利用する狙いもあったようだ。神戸に支社を置いた米鋼材メーカーが設計を無償提供したのも後押しし、20年に須佐小を含め3校が鉄筋コンクリートで新築された。
鉄筋コンクリート造の校舎が現れ、その設計が標準化され、
神戸の事例が他都市にも広がっていったとのこと。
それだけでなく、神戸では個性的な校舎も散見され、
校舎建築をリードする存在だったことが記事からもわかります。
そんな校舎の設計者として記事に登場するのはなんと神戸市の営繕課長。
一公務員が後世に語り継げるような魅力的な校舎建築を成しえたことが、
その志の高さを映し出し、同時に時代背景を物語っているように思えます。
研究では設計者の人物像を掘り下げる。校舎は社会的な芸術だ。どんな理念を込めたのか、追究は欠かせない。当初は存命の方が多く数百人に直接話が聞けたが、近年は遺族を訪ねることが増えた。大半は建築家としては無名だが、彼らの声を積み上げなければ本当の建築史は書けない。
私学においても当然、校舎は存在します。
その校舎には、建築に携わった人たちの想いがたくさん詰まっています。
校舎は学校に必須のもの、だからこそ、そこでどんな教育が展開され、
何を大切にして育ちを支援するのか…といった「理念」あってこそ、
その形を成しているのだろうと思います。
多くの私学は、30年、あるいは50年、それ以上の歴史を持っています。
老朽化した校舎の建替え、あるいは大幅リニューアルの時期が
到達している、迫っているというケースも少なくないでしょう。
校舎を考えるにあたっては、貴校園の理念をもう一度見つめなおし、
そこに込めるべき先人たちの、そして今を生きる皆様の、
想いを結集していただければと願っております。
(文責:吉田)