寝ても覚めても学校のこと。~学校経営の経営課題(人事・財務・募集・施設などなど)について考えるブログ~

大阪の学校経営コンサル会社/株式会社ワイズコンサルティングが、学校経営に関する情報を収集し発信するブログです。

理念実現へ財政的自立を

私学にお勤めの皆様に質問です。

私学の存在意義について、どのようにお考えでしょうか?

 

本日ご紹介する記事は私自身、共感できるところが多かったです。

日経新聞より。

 

www.nikkei.com

(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)

 

私立大学はじめ、私学にはそれぞれ建学の精神があり、

その精神を実現するために教育、研究活動を行っている。

もともと私学は個人や宗教団体などが創立しているのだから、

その建学理念の実現を目指す活動は基本的に私的なもの、と言える。

しかし同時に、教育や研究は社会的な意味も持っている。

人材の育成は社会全体を豊かにし、

研究による学問の進歩が社会全体に利益をもたらすことはいうまでもない。

このようにことわったうえで、

筆者は私学のもうひとつの役割を指摘しています。

 

そしてもう一つ、私立大学に特に期待される社会的役割がある。それは教育や研究に多様性をもたらすことだ。個々の大学は固有の建学理念を持ち、それによって個性のある教育、研究を行っている。そのことゆえに教育、研究に大きな多様性が確保されるのである。

 

社会が健全であるためには、その中に多様な思想、価値観を内包していなければならない。このことは教育や研究の分野においてはなおさらだ。特に今日のような大きな変化の時代には、社会の持続可能性を高めるために、変化に対応する選択肢をできるだけ多く確保しなければならず、その意味で教育や研究の多様性はきわめて重要だ。

 

多様性に逆行するような国家施策が世界のあちこちで目に付くからなのか、

上記の記述はとても重要な示唆を与えてくれる気がします。

そして、私学のこのような社会的意義ゆえ、

もともとは私的な営みを行う私学にも公的な財政支出がなされています。

教育、研究の場における多様性を損なわないための措置、

とも言えますよね。

しかし、と筆者はここで重要な指摘をしています。

 

ただし公的財政支出は、私立大学の持つ社会的意義を減殺させかねない問題もはらんでいる。特にそれが、特定の教育、研究を行うことを条件に支給される場合、教育、研究は1つの方向に誘導される。結果として私立大学の行う教育、研究の多様性は低下してしまうことになる。

 

おそらく私学関係者であれば、補助や助成を受けることと引き換えに、

独自性とはかけ離れた、国家誘導的な施策に乗らざるを得なくなった、

というご経験が一度や二度はあるでしょう。

財政による政策誘導は危険な蜜の味がする、というわけです。

 

このことを踏まえて、筆者は各私学の自律財政が重要だ、

という論を展開されています。

 

社会は私立大学の持つ多様性から便益を受けており、これは公的財政支出をすることの理由の一つでもあるはずだ。しかし公的財政支出が、特定の政策誘導を行うことで私立大学の多様性を減殺してしまうとすれば、社会の受ける利便も減殺されてしまう。

 

もちろん上述のような私立大学の社会的役割を考えれば、私立大学に対する公的財政支出が学生1人あたりで国立大学の13分の1という格差は極端であり、私立大学助成はもっと増やされてしかるべきだ。

しかしそれはあくまで私立大学の自主財源を補うものである。教育や研究に多様性をもたらし、また長期的な教育、研究の成果を目指すという、大学に期待される社会的役割を果たすためにも、私立大学はその財政的自立性を高めることが重要である。

  

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このたびの記事は私立大学を対象に書かれたものですが、

大学に限らず、私学であれば同様のことが指摘できます。

国や自治体からの財政面での支援は非常に重要ですが、

自校園の建学の精神を積極的に支持してくれる方々からの

自主財源を充実させることが、理念の実現を近づけてくれるでしょう。

 

(文責:吉田)

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