昨日の朝、私立小学生とその保護者に痛ましい事件が起こってしまいました。
どのような言葉にしてよいか、全く見当もつかないのですが、
どんなときであっても命が奪われることがあってはならないと
改めて強く思った次第です。
亡くなった方のご冥福を心から祈るとともに、
怪我をされた方、関係各位には一日も早い心身のご快復を願います。
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人が人を「評価」する、というのは難しいですね。
学校では子どもたちを評価するのが当たり前、かもしれませんが、
さて、そうやって評価している先生方が
「評価される」側に回ったら…
という話が日経新聞に載っていました。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
ある年のこと。管理職による自分の業績評価を見て言葉を失った。思いもかけぬ内容だったからだ。担任したのは荒れがちで対応の難しい6年生のクラス。厳しい日々が続いたが、子供の人間関係の調整と授業の充実に努力を重ねて何とか安定を保ち、全員が笑顔で卒業する日を迎えた。
しかし、評価は下から2番目のCランク。納得がいかず管理職に説明を求めたが「あの落ち着きのないクラスの実態ではねえ。これは業績評価だから」という回答。教育現場での業績とは何なのか、深い疑問が残った。
昨今の教員は様々な方向から評価されます。
管理職、保護者、そして子供自身…
ただ、評価は誰がいつ行うものであっても、
完全ということはありません。
そこには必ず不十分さが伴うものだと私は思います。
一方で、評価があるからこそ発展がある、改善がある、とも思います。
PDCAサイクルというのは計画→実行→評価→改善のサイクルで、
ここには必ず評価という場面が訪れますし、
それがあってこそ、次のアクションがよりよくなされると言えます。
評価は完全ではないが、必須である。
と言っていいのではないでしょうか。
民間企業においても、人事考課(評価)制度は模索が続きます。
一度導入した制度も、それが是とされる旬の時期は
それほど長くはないような気がします。
業績を評価するのか、能力を評価するのか、態度を評価するのか。
誰が評価するのか。評価を何段階に分けるのか。
どのくらいの頻度で評価するのか。評価結果は何にリンクさせるのか。
論点は数多くあります。
私学でも今後、評価制度が議論される機会は増えていくでしょう。
そろそろ各校園に定着したころかもしれませんが、
その結果が活動に活かされているかどうかはかなり差があるように思います。
既存の制度の活用とともに、いわゆる人事考課制度や
学校の業績評価なども議論の俎上に上ってくるかもしれません。
目的を明確にし、それを達するための制度導入を図ってまいりましょう。
(文責:吉田)