最近、気になった書籍がこれです。
日経新聞に著者の先生が採り上げられていました。
(有料会員限定記事となっております。ご了承ください)
書籍の帯にも廃止した「当たり前」が書かれていますね。
宿題の強制、中間テスト、服装チェック、担任制度…
やめたものは数え切れないそうです。
形式主義が染みついた教育では「社会に出て課題解決なんてできない」(工藤校長)。従来型の定期テストや中間テストをやめたのもそれが目標になってしまうからだ。工藤校長は教師出身だが、経営者感覚の持ち主。万事を上位目標から逆算して学校を運営する。例えば頭髪・服装の乱れや遅刻では叱らない。「叱ることは生徒へのメッセージ」(工藤校長)。命、人権、犯罪を上位に置き、そこから指導する。
公立校でもいろいろと変えられるものなんですね。
私学は…どうでしょうか。
独自のしくみを持つ学校園の例は多いのでしょうか。
制度化されたことには、それなりの理由があります。
それが最も効率的であるからこそ、その制度がある、とも言えます。
ただ、それが形式だけのものに陥っているとすれば…
特に教育という事柄の性質を考えると、やはり中身あってこそ、
その制度は生きるのだろうと思います。
貴校園のしくみや制度は、形式に陥っていないでしょうか。
しくみや制度があるからそうしているのだ、と、
無意識あるいは意識的に考えてしまってはいないでしょうか。
理不尽なしくみは変えるべきです。
理不尽かどうかは、時代や環境によっても変化します。
以前は妥当だったしくみも、今はどうか分かりません。
新年度に向かうこの時期、
一度「当たり前」を疑ってみるのもいいかもしれませんね。
(文責:吉田)