「気持ちがこもった態度」
…学校で教えることが簡単ではない、
しかしながら社会で活動するにはとても大切なこと、ではないでしょうか。
先日、毎日新聞にこんな記事が掲載されました。
スマートフォンを操作しながら自転車を運転し、歩いていた高齢女性にぶつかって死亡させたとして、重過失致死の罪に問われた元大学生の被告(20)に、横浜地裁川崎支部は27日、禁錮2年、執行猶予4年(求刑・禁錮2年)の判決を言い渡した。
(一部文章を改編しております。ご容赦ください)
事故当時、この元大学生は
「耳にイヤホンをつけて音楽を再生し、
飲料容器を持った右手でハンドルを握り、
左手でスマホを操作しながら自転車で走行していた」
そうです。
そして判決は、
「危険を察知したとしても直ちにブレーキなど必要な措置を
講ずることができない状態で、
人に衝突すれば死傷させ得るという自覚も欠いていた」
と指摘しました。
この裁判での裁判長の言葉が記事に引用されていました。
「周囲の安全を顧みない自己本位な行為で過失は重大」
そして、
被告が「急いでいたことが事故原因」と述べたことに対し、江見裁判長は「自らの運転態度について内省が深まっていない。遺族の処罰感情が、被告の空虚な謝罪で和らいでいないのも当然だ」と述べた。
とあります。
先日、ある社会福祉法人の役員会に出席させていただいた際に、
こんなことを口にした理事がいらっしゃいました。
事業は、方針がないといけない。方針を示すことはとても重要だ。
方針が決まることによって、やるべきことが決まる。
しかしながら、方針がなくとも、常識的にやるべきこともある。
そのひとつが挨拶だ。オアシス運動はすぐにでもやるべきだ。
オアシス運動という言葉を久々に耳にしました。
おはよう、ありがとう、失礼します、すみません。
これらの言葉を口にすることはとても大切ですよね。
そして、その言葉は当然、気持ちを乗せて発せられるべきです。
空虚な謝罪は本当の「すみません」ではありません。
その感性を養う社会でありたいと思います。
(文責:吉田)