寝ても覚めても学校のこと。~学校経営の経営課題(人事・財務・募集・施設などなど)について考えるブログ~

大阪の学校経営コンサル会社/株式会社ワイズコンサルティングが、学校経営に関する情報を収集し発信するブログです。

「お金を貯める」より難しいこと

先日、ある学校法人の理事長さんとのご面談をいただいたときのこと。

 

その学校では校舎の建替計画が進んでおり、数年後には着手できるのでは、

という段階に達しておられます。

当社はその資金繰りを含めた計画策定を支援させていただいており、

今後数十年を見据えた大規模投資について、

ご一緒に考える機会を頂いているというわけです。

 

ご面談の際、理事長さんはこんなことをおっしゃいました。

 

「新校舎について財政的に負担すべきなのは、

 それを利活用する将来の生徒であるべきだ」

 

この言葉が何を意味するか、お分かりになるでしょうか。

逆から考えると分かりやすいのですが、

財政負担を「将来」ではなく「過去」に頼るとすれば、

現時点までに貯まったお金で校舎を建てる、となるはず。

ところがその理事長さんは全く逆の発想に立たれた、ということです。

つまり、投資に際しては積極的に「借入」すべきである、

ということをおっしゃっているわけです。

 

私はすでに10年ほど私学に関わり続けていますが、

このような考え方を耳にする機会はほとんどありませんでした。

学校、特に実務者においては借入を是とする考えは絶滅危惧種と言っていいほど。

むしろ「いかにして無借金で事を為すか」、

あるいは「これまでの蓄財の範囲でできることをやるべき」、

という意見が支持を得ることが多いように感じています。

 

しかし一方で、社会のインフラ整備において基本になっている考え方は、

その便益を受ける将来市民が負担する、というもの。

(お金が貯まるまで整備を待っていては街はどんどん廃れてしまいます)

国債や地方債の残高過多が叫ばれる中ではあまり歓迎されないかもしれませんが、

この考え方自体が間違いであるわけではありません。

それどころか、未来が負担すべきという考え方は

受益者負担」の延長にあるものですから、

便益と負担のバランスを考えるスタンスからは望ましい考えと言えるでしょう。

 

ところが、私学においてこのような考え方が採用されにくい、

あるいは意見としてすら出てこない理由は何か。

それは「経営のプロ」が私学にはあまりいらっしゃらないことと大きな関係がある、

と私は思います。

 

私学においてはその経営の先行きを案じるあまり、

特にお金がかかることに関しては

「すべきこと」「やりたいこと」よりも

「できること」にスポットが当たってしまいがちです。

もしこの先、募集がうまくいかなくなったら…

もし資金繰りを誤ってしまったら…

危ない橋は渡れないから、手元にあるものだけで何とかしよう。

このような発想です。

これは裏を返せば、

少子化の中では募集はうまくいかない。

・十分な資金がなければ、資金繰りはうまくいかない。

という、経営の工夫を無視した考え方に立っていることになります。

 

私学は長い間、日常の「運営」でほぼ問題なく継続できる事業体でした。

ところがここへ来て、「運営」ではなく「経営」が必要になってきています。

「経営」はそれほど簡単なものではありません。

経営環境が厳しくなる中にあって、

将来に永続するシナリオを描かねばならないからです。

今こそ、私学に「経営のプロ」が必要だと痛感しています。

 

やや言葉が過ぎているついでにもう一つ付け足すなら、

私学経営の難易度からすると、

お金を貯める、というのは比較的難度が低いのに対し、

将来に向かって投資する、というのは非常に難度が高いこと、

と言えるように思います。

将来への投資とそれに伴う借入がなぜ難しいのかと言えば、

その判断を保証するものが目の前にはないからです。

これぞ経営判断であり、失敗の可能性も十分にあり得ます。

 

御校では何にお金を使いますか。

その決断をせぬまま次世代にバトンタッチすることこそが、

借金の残高を残すこと以上に、

将来にツケを回すことなのかもしれません。

失敗の可能性を捨てることは、

成功の可能性を捨てることに他ならない、と私は思うのですがいかがでしょうか。

 

(文責:吉田)