昨日、名古屋に行ってきました。
1~2年に1度は訪れる場所、名古屋。
魅力は人によって様々あるのだろうと思いますが、私は何よりも「食」。
甘いものはあまり得意でないこともあって、後二者は個人的には優先度が落ちますが、
とにかくいろいろ美味しいものが多いです。
そしてその中でも特に私が好きなのが手羽先の唐揚げ。
今回も美味しくいただきました。
このことをどうしても伝えたくて…というわけではなかったのですが、
今朝文科省のニュース配信を見ていたら、こんなニュースが流れていて思わず回想してしまったわけです。
私自身、食育はとても大切だと思っています。
もちろん、授業や部活動も大切だとは思います。
が、何をするにもまずは元気が一番。
心身の健康のためには、食がその根本をなすものだと感じているからです。
今回引用した文科省の有識者会議の議論はまだ始まったばかりで、議事録も掲載がないので
コメントすることはできないのですが、ぜひとも真剣に議論を進めていただきたいと願っています。
実はかくいう私、小さい頃はものすごい偏食でした。
特に小学校中学年の頃は、偏食の上に拒食症も加わって、一日の中で給食の時間を最も苦痛に感じていました。
そして当時、我が母校では年に数度、「残飯調査」なるものが実施され、
クラス全員が残さず給食を食べることが義務付けられるのです。
さらには毎月の身体測定の際に体重が100g以上減っていると家族にその連絡が行き、
「ちゃんと食べさせるように」と指導される…本当に地獄の日々でした。
毎日毎日、給食の時間に居残りをさせられそうになる私。
そんな私を救ってくれたのは、なんとクラス担任のT先生でした。
小4の私からすればもうおじいちゃんのような先生でしたが、怒るとそれは怖い先生で、
残飯調査の有無にかかわらず、「給食なんてとても残せそうにない」と震えあがっていたのですが、
その先生こそが
「食べられないものを無理に食べなくていい。そのうち美味しさが分かって、食べられるようになるもんだ。
栄養が偏らない程度に見守るから、多すぎたら残しなさい」
と言って下さったのです。このことは家庭訪問の時にもウチの家族に伝えて下さったようです。
実は私の祖母も同じ考えの持ち主で、それも私には本当に有り難かったです。
大正生まれの厳しい人で、農家の出身なので自分は米一粒たりとも残さない、食べ物を大切にする人だったにもかかわらず、
私には「無理に食べなくていい」と繰り返してくれました。
もちろん、このこと自体賛否両論あるでしょう。
が、私は本当に救われた気持ちでした。
結果、拒食症も半年くらいでほぼ完治しました。
そして、先生や祖母が言ってくれた通り、私は翌年以降、急激に好き嫌いが減っていきました。
給食時間が終わるころにようやく食べ終わっていた私が、小5に上がってからは、
クラスで給食を食べ終わるタイミングは3番以内になっていました。
徐々に食べることが好きになり、今や、「食べる幸せなしには生きていけない!」というくらいになったのです。
このことを振り返ると、私は「食べなくていい」と言ってくれた人が一番残飯を出していないことをよく知っていました。
だから、自然にまかせつつも、その食べ物の大切さを理解し、嫌いなものでもチャレンジする気持ちを失わずに済んだんだと
思っています。
もしあのとき、食べることを強制されていたらどうなっていたでしょう…
食べることを強制されれば、きっともっと食べることが嫌いになってしまっていたと思います。
北風と太陽の話ではありませんが、食べないからと言って食べることを強制するのではなく、
食べられなくてもいいから、その大切さを理解してくれるように導く、そんな食育が大切だと身にしみます。
今や嫌いなものはほとんどない私。
子供の頃の食に対する向き合い方の大切さを、他の人以上に感じています。
学校での食育、望ましい方向に進んでいくことを心から願っています。
(文責:吉田)