日頃、いくつかの私学を訪問させていただくときに気になることのひとつに、
「コミュニケーションの頻度と質」
を挙げることができます。
どの組織においても、コミュニケーションは必須。
経営学上、組織の成立要件のひとつとしてコミュニケーションの存在が挙げられているほどです。
がこれが十分に存在している私学がどのくらいあるのか、私は少し疑問を感じています。
組織におけるコミュニケーションを大雑把に分類すれば、
「縦のコミュニケーション」と「横のコミュニケーション」
に分けることができます。
「縦のコミュニケーション」はいわゆる上司と部下の関係。
私学で言えば、理事長や校長と、現場教職員との間に存在すべきコミュニケーション。
このテーマについても、改めて未来のブログで採り上げたいと思っていますが、
組織運営上、なくてはならないコミュニケーションでありながら、そこには
意思を伝え合い、分かりあうという目的とは到底思えない、
反目や批判重視の言葉の応酬もあるのが現実ではないでしょうか。
そして今日採り上げたいのは、「横のコミュニケーション」。
これは主に、教員どうしのコミュニケーションを指しています。
学校の事情をあまりよく知らない、例えば私のような存在からすれば、
先生方というのは普段からお互いの状況をよく知っていて、
時に手伝ったり手伝ってもらったり、アドバイスしたりされたり…
と、支え合う関係ができていることを期待してしまいます。
が現実的には、各先生方は授業の前後に慌ただしく自席に戻っても、
すぐに次の授業に出かけ、放課後は部活動指導や分掌業務、保護者対応に追われ、
あるいはテストの採点やノートのチェックなどでこれまた作業に追われ、
あまりコミュニケーションを採っていらっしゃらない、という日常が増えているような気がしてなりません。
そんな現実の様子を伺うたびに、私がいつも思う方法論が
「職員室の大部屋化」
です。
いやいや、ほとんどの学校の職員室は大部屋ですよ、という声が聞こえてきそうですね。
確かにそうでしょう。
が、その実、その部屋に先生方がいらっしゃる時間は果たしてどのくらいですか?
私が耳にしている現状では、特に校務分掌(各部や委員会等)を実施する部屋が職員室とは別に存在し、
そちらに詰めてしまっている先生方が多すぎて、意外と職員室はがらんとしている…という状態(まさに常態)。
これは実質的に職員室が分割している状態に近いのではないか、と思ってしまいます。
これまで読んだ本の中には、教育論として
・家族のいるリビングで勉強をする子のほうが成績が良い
・子供部屋にこもらせることはあまりいい結果を生まない
といったものがたくさんありました。
これは子供しかり、大人もしかり、ではないでしょうか。
部活や分掌を理由に個室にこもる教員には、少なからず組織人としての自覚が不足しがち…
というのは、言葉こそ辛辣ですがある程度現状を言い当てているとも思うのです。
これも以前読んだ雑誌の中で、今スポットライトを浴びている内閣参与の飯島氏の話が載っていたのですが、
小泉内閣時代に秘書官を務めた飯島氏は、それぞれ別の担当を持っている5名ほどいる秘書官をひとつの部屋に集め、
机も向かい合わせに配置した上で、誰かに電話がかかってくれば周囲の別の秘書官にも聞こえるような状態を作り、
仮に自分以外にかかってきた電話であっても、自らに関係する電話であったならそれを勝手に耳をそばだてる、
いわゆる「傍受」の状態を作り出したそうです。
そして電話が終わった瞬間、勝手に聞き耳を立てた担当官が「傍受了解」と伝えれば、
それは改めて報告せずとも、情報が共有されたことを意味していた、と。
多数の人が同一の場所で仕事をすることだけでもいろいろなメリットがあります。
逆に「仕事に集中できない」「荷物を置ききれない」などといったデメリットもあるでしょう。
が、私自身が思うのは、デメリットは別の方法で解消することができる一方で、
メリットを補う他の適切な方法は見出しにくいように感じています。
職員室の『実質的』大部屋化、ぜひご検討いただければと思います。
(文責:吉田)